美しい台湾(環島)一周サイクリング 3日目 台中~日月潭
美しい台湾(環島)一周サイクリング 2日目 新竹~台中
日本人対応の店員さんもウロウロしているのでリフレッシュに話すのもいいかもしれない。何も買わずカメラだけ構え去る。
美しい台湾(環島)一周サイクリング 1日目 桃園~新竹
交通量の多さ・・というよりは台湾特有のガチャガチャ感が伝われば良い。
ABCマートが有ったり、吉野家が有ったりと、たまにここが台湾であることを忘れる。
漢字ばかりな風景はアジア感溢れていて良い。
これから茶飯事になっていくだろう。
よつばとの魅力について語る
・よつばとはじめに
自分が五歳の時、その目には世界はどう映っていただろう?
無機質なアスファルトを踏みしだく際も、電子媒体の情報に目を通し快楽を得るのではなく、白い線の上のみを歩いて帰ることにささやかな幸せを見出していた。
今日の晩御飯の楽しみ、はじめてビュッフェに行き「これ全部食べていいのか!」という感動。割った花瓶をどう言い訳するかに右脳をフルで活用し、結局ばれて怒られた思い出。近所のコンビニにおつかいを頼まれただけでそれはインディージョーンズをも彷彿とさせる大冒険であった。
子供には世界が全て新鮮に見える。なぜなら私たちがうんざりするほど繰り返してきた生活動作や娯楽も、子供にとってはそれが「はじめて」だからだ。
全てが「初体験」の子供には邪念や先入観がない。だから全てのことを惰性ではなく全力で取り組み楽しむことが出来る。そこに迷いがない。私が最後に邪念も見返りも考えず全力で何かに取り組んだのはいつだろうか、何歳まで遡ることになるだろうか。
それなりに両親には愛とお金と労力をかけさせたと自負している。
たくさん褒められたくさん怒られたくさん殴られた。しかしドライブレコードのように常に感じた記憶を記録していたらHDがパンクしてしまう。なので記憶は薄く引き伸ばされ新しいものを吸収する度に古い思い出は剥がれ落ちるように人間は作られている。
過去にパルケースパーニャーに家族でいった頃のセピア色に染まった写真を見せられたが、何一つ思い出すことはできなかった。きっと楽しかったのだろうが写真で見る以上の情報は得られなかった。
そんな抜け落ちた部分を外付けHDのようなもので「子供の感性」のまま俯瞰で可視化できればどれほどいいだろう。
それを叶えてくれる唯一無二のコミックがこの世には存在する。
当コミックの主人公「よつば」と抜け落ちた思い出を取り戻しに帰ろう。
・よつばと概要
よつばとは『月刊コミック電撃大王』(アスキー・メディアワークス(旧メディアワークス))において2003年3月から連載されている「あずまきよひこ」による漫画である。
単行本は現在14巻が刊行されており、累計1300万部を突破している。
受賞歴として2006年、第10回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞。2016年、第20回手塚治虫文化賞マンガ大賞やAmazonランキング大賞2016上半期のコミック部門第1位受賞。
現在13か国語に翻訳されており、国外23カ国で100万部を突破。
英語表記は『YOTSUBA&!』。
特徴としては単行本新刊が鬼のように遅く、電撃大王での連載も不定期でサボるというよりはゲリラで出没するという表現がしっくりくる程きまぐれである。(大体三か月で1話ペース)
「よつばと知ってる?」と聞いて「知らない」と返ってきた際、絵を見せると「あー見たことある」と返されダンボーを見せると「これってこの作品のキャラだったの!?」と驚かれる。
恐らく何となく本屋のコミックコーナーで見たことある程度の認識が多い。
一般人には絵だけで「オタク系の読み物」と邪険に扱われる。
一応聖地が「あずまきよひこ」の生誕地である兵庫県高砂市とされているが、明確にはされていない。ただ酷似している部分は多く、雰囲気を味わう程度でも足を運んでみる価値はある。
よつばと作品としての特徴
カテゴライズとしてはギャグマンガと日常系の境界あたりに位置すると思われる。また1巻2巻辺りは前作の「あずまんが大王」の毛色を色濃く受け継いだギャグマンガとしての側面が強いが、徐々にグラデーションで描き方や作画内容等に変化が見られ日常系の中にギャグが含まれるような作風になりつつある。
主に世間で評価が高いのが後者であるが、「あずまんが」ファンの古参からはギャグテイストの方が好きだったという声が強い。
物語に最大の特徴として、大きな事件劇的な展開も起承転結のドラマツルギーに頼ることもなく、ただ淡々とよつば達の幸福な日常を移すだけというものが挙げられる。
そこには爆発もなく人間関係がこじれることもなく悲劇もなく、ただひたすら幸福な日々が読者の目の前で繰り広げられる。
コーヒーをつくったり、ヨガに行ってみたり、キャンプに行ったり、牧場に行ったり、どんぐりでブレスレットを造ったりなど、ほぼ1話完結で話もほとんど進展しない。そこには露骨に泣かせに行こうといった演出やどんでん返しも存在しない。
しかし、そんな起承転結やどんでん返しもないエピソードで読者を引き込めるのには理由がある。
よつばとは実写化はおろか、アニメ化もノベライズも100%無理であると私は確信している。この作品は漫画であるから輝く、著者のあずまきよひこ氏も「アニメ化はしなくていい」という節の声明を出している。
そんなよつばとの漫画でしか表現できない世界、そのメゾットを以下にまとめてみた
1・その場に「いる」と思わせる絶妙なアングルと立体感。
上記画像がわかりやすい。左のコマ、これは我々読者も大人の高さの目線でその場に同席しているような位置からの俯瞰となっている。そして右の見上げているコマは大人の高さから(この場合だとやんだととーちゃん)がよつばを見下ろしているときの主観となっている。
この絶妙なアングルによって我々はそばからよつばの成長と体験を見守っているような感覚にふけることが出来る。
重要なのはカメラアングルがよつばの主観と重なることが少ないということだ。よつばを俯瞰からとらえ続けることで、2度と戻れない子供の頃の自分とよつばを投影させ哀愁をかきたてる。よつばとを読む際は是非アングルを意識してほしい。
2.記号的なキャラクターの絵とリアルな背景描写
よつばというキャラクターは喜怒哀楽を前面に押し出す、「素直なこどもの典型例」である、驚いたとき、悲しいとき、うれしいとき、今よつばがどんな気持ちかというのが読者にストーレートに伝わる。それはあえて簡素化して描かれた記号的な表情によるものだ。目がぐるぐる回ったり点になったり、そこにリアル感は無いがだからこそ読者としては感情を読み取りやすい。そしてよつばは思っていることをハッキリと言う。これが違和感なく浸透しているため、表情では伝わりづらい部分があったとて補完することが可能である。
それに対比するように背景は非常に精密に描かれている。また登場するお店や商品なども実在するものをその名前のまま完璧に描いているので尚リアル感が増す。(万代・イオン・どん兵衛・SHIMANO、プリキュアなど)
それに加え1でも説明したカメラアングルで見せてくれるため臨場感が最大限に発揮される。
キャラクター感の強い人物絵とリアルな背景描写この相反する2つのものの調和が我々読者を物語に引き込ませてくれる。そこに違和感がないのは実写をトレスしたものではなく、あくまで絵としてリアルな背景を「描いている」からであろう。
3.潤沢なコマの使い方
他の漫画なら1コマで終わらせる、ないしはそもそもコマを割かないような描写に丸1ページを要し丁寧に描写するのがよつばとである。
故に「手のみ」「テディベアの顔面アップ」「同じ表情の寸分変わらない絵が3コマ続く」ということが日常茶飯であるわけだが、それこそが真骨頂なのだ。
ではなぜそういったコマの割方をするのか。それはよつばとが我々に与える感情にヒントが隠されている。
よつばとで得られるのは平凡な日常そのものが世界との新鮮な出会いの連続に他ならなかった子供時代の追憶体験である。つまりよつばにとっては行動1つ1つが新鮮であり初体験なのだ。例えそれが我々にとっては意味のないコマ割りに思えてもそのコマの1つ1つがよつばにとって思い出となる。
わざと割っているのではなくてよつばの世界を丁寧に描写していれば自然とそのような表現になったのではないかというのが私の考察だ。
4.よつばを取り巻くキャラクター
漫画的手法について解説してきたが、キャラクターも無視するには惜しい。よつばもさることながら、とーちゃん、やんだ、じゃんぼ、ふーか、えな、あさぎ、とらこ、みうら等、大人からこどもまで、よつばのちょっとおねえさんや意地悪なお兄さんなどよつばを取り巻く人間模様にも目を向けてほしい。その三者三様なオトナ達のよつばに対する愛情や優しさがより物語を引き立てている。
5.吹き出しとは別に添えられる擬音や独り言
注意深く読んでいると、格段にほかの漫画に対して吹き出し以外で話している独り言や効果音や擬音が多いことがわかる。しかし、これらは普通に読んでいても気づかない、それほど違和感なく知らずのうちに読まされていることを知る。
何故吹き出しで書かずにそういった手法で描くのか。
口酸っぱく申し上げるが、よつばとの魅力は何も起こらない日常を丁寧に描写することである。その何もない中でよつばやオトナの一挙手一投足一言一句に価値があるのだ。
なので通常の漫画ではいちいち描いてられず端折られる部分にもフォーカスを充てている。その代表格が、吹き出しにするほどではないが場面を丁寧に描写するには書く必要のある言動だと思う。
なので本来は「ある」ものを余すことなく書いているという表現がしっくりくる。たまに吹き出しで長セリフを話すが、その際にもよくこの手法が用いられる。吹き出しで話す内容は読者に読んで理解してもらいたい内容で、その場の雰囲気を掻き立てるのが擬音やぼそっと言ったこと。
またそれとは別に吹き出しで背景が損なわれることの回避ではないかと考える。
6.よつばの成長
よつばは回を重ねることに少しずつだが学習し成長している。
色濃く表れているのは最新14巻である。いままでは「こども」の観点でのよつばの描き方が強かったが、プリンセスに憧れてドレスを身にまとったりなど女の子としての自我が芽生えつつある。ほかにもよっつばが自ら進んで「学習する」エピソードは多くちりばめられている。
その成長を見るのが醍醐味でもあるが、少し寂しいという意見も多い。いつまでも子供ではいられない。人はオトナになっていくんだなという。自分の幼少期の自己投影が肝となっているこの作品においてのよつばのオトナ化はジレンマを抱えている。
そもそもそこまで感情移入させるこの作品の凄さに驚きだが。
よつばとキャッチコピー
どれもセンス良く作品の雰囲気を引き出している。
個人的なお気に入りは「いつでも今日が、いちばん楽しい日。」だ。
子どもは未来でも過去でもなく今に生きている。
キャッチコピーは単行本の帯に記されており、よつばとファンとしては内容もあることながらこのキャッチコピーも楽しみの1つとなっている。
よつばと!1巻「いつでも今日が、いちばん楽しい日。」
よつばと!2巻「ただ、ここにいるだけのしあわせ。」
よつばと!3巻「どこかで見た、どこにもない場所へ。」
よつばと!4巻「いつかおとなになるこども。と、かつてこどもだったおとな。かわらないまいにち。」
よつばと!5巻「おわらない夏のおわり。」
よつばと!6巻「今日も世界はひろがっていく。」
よつばと!7巻「こどもが走れば、おとなも走る。」
よつばと!8巻「平日、休日、祭日。毎日。」
よつばと!9巻「変わっていく季節、変わらない毎日。」
よつばと!10巻 「毎日という宝箱を、今日もあける。
よつばと!11巻 「世界は見つけられるのを待っている。」
よつばと!12巻 「目の前には実物大の世界地図。」
よつばと!13巻 「そして今日も、日々は続く。」
よつばと!14巻 「世界VS子供」
世間的な認知度で言えば本家よつばとをもしのぐであろう1コンテンツとして地位を確立した
「ダンボー」モバイルバッテリーやグッズなど様ざまな商品化が舞い込んだ。
▲の口に光る眼、洗練されたデザイン。そしてダンボーというネーミング。全てが抜けなく受け入れられたダンボーだが、本作にはたった2話しか登場しない。(5巻よつばとダンボー、10巻よつばとさいかいの2つのみ)
もともと本物のロボットでもなんでもなく、みうらが自由研究の題材として段ボールで中に入れるロボットのオブジェとして制作したものだ。本物のロボットだと信じたよつばの夢を壊さないために必死にみうらとえなはダンボーを本物のロボットだと見せようとするという話だ。つまりダンボー=みうらである。
ダンボーの作中での設定としては「よこのスイッチで目が光る」「100円を入れることで動く(「私はお金で動く」というセリフはあまりにも有名)」
フィギュア化された際は忠実にスイッチと目が光るギミックが搭載され、お金を入れるところまで再現されていた。
よつばと個人的傑作シーン
個人的によつばとで気に入っている話をまとめた。もし「よつばと」が気になるが全巻読むのはちょっと・・といった方は下記の話だけでも読んでみてほしい。
10巻「よつばとホットケーキ」
概要
よつばは子供で当然ホットケーキ作りなんて初めてである。故に粉をこぼしたり、牛乳を入れすぎたり、最後は形がグチャグチャになってうまくいかなかった。
2枚目こちらも焦げて卵焼きのように、同席していた「やんだ」にやーい下手くそとからかわれ(この場合悪意のない嘲笑)よつばは1度は「できない」と匙を投げる。が、とーちゃんが「俺はホットケーキ大好きだから何回失敗しても全部食べる、だから作れ」と諭し、ふたたびホットケーキ作りへ。そこから何回か失敗しコツを掴んだよつばは遂に綺麗なホットケーキを完成させる。最後は形が不揃いなホットケーキを「でも美味しい」と笑いながら食べておしまいというお話
考察
この話を傑作に選ぶ人は少ないかもしれない。
話の内容としてはよつばがはじめてのホットケーキを作ってみるという平凡な体験だが、私は眼尻に涙を浮かべ唇をわなわなと震わせながらページをめくっていた。
生きていくうえで失敗はつきものである。誰だって最初は初めてで、最初から上手に事をこなせる人間は一握りである。
そして人間が恐れるのが失敗することではなく、その失敗を誰かに嘲笑されることだ。それが新たな行動の種の足かせとなっている。だから私たちは1つの失敗ですぐに方向転換を模索し匙を投げる。
嘲笑する「やんだ」を嫌な奴と捉えてしまいたくなるが、それが人間の腹の底である。
ホットケーキをひっくり返すことに成功して喜びの笑みを浮かべるよつば見ていると「最後に自分が失敗しても最後までやり抜いたことは何だろう」と考えて自然と涙が頬を伝った。
何度も失敗をしてきたオトナだからこそ刺さるものがある話だ。
12巻「よつばとキャンプ」
車で遠征してテント拍のキャンプに行くお話、よつばとの中では1大イベントな方。
最終ページの尋常ではないほどの哀愁漂うよつばの姿にファンは「ここで最終回でも良かった」「よつば死ぬんじゃねか?」といた声も上がる。
考察
朝焼けの背景を見開き1ページで使うなどよつばとの真骨頂が垣間見えるこの話。話の全体を通して抜け目がない完成度だが特に最終ページはとてつもない破壊力を誇り、「今日は何して遊ぶ?」というセリフ・よつばがみんなと読者に呼びかけるようなアングル(よつばとにしては珍しいカメラ目線)とノスタルジックな背景・何よりそのコマが最終ページであることが読者をすさまじいセンチメンタルに突き落とす。楽しい時間はあっという間、すぐに終わりを迎えてしまう遊園地の帰り道のようなあの「あーあ」といった感じをコミックの表現で身体から呼び起すのは恐ろしいと言うほかないだろう。個人的には最終ページから1つ前のページの6コマの使い方が本当に秀逸であると感じた。ファンである私でさえこの話が最終回でもいいと思えるくらいの話だ。
よつばと最後に
私は将来引っ越したり家庭を持ったりといろいろな環境の変化があると思うが、このマンガだけは一生手放すことは無いだろう。万が一手放しても買いなおす。そしてこれ以上の漫画がこの先現れることは無いと断言することが出来る。
私の思うよつばと最大の魅力は「ふらっと中途半端な巻数を適当に読んでも楽しめる」というところである。たいていの漫画は1続きになっており、前後の脈絡が非常に重要になってくる。なので新章の始まる節目から読み進めるのがベターになるが、よつばとはほぼ1話完結なためどこから読んでもいい。「仕事一区切りついたし息抜きするか」と6巻を取り出しでパラパラと読むのだ。まあこの場合における欠点は1度読みだすと止まらなくなり2時間後にはデスクによつばとが平積みされることであるが。
よつばと面白いの?どんな話?よくそう言った詰問を受けるがすべての作品にシナリオを求める姿勢はナンセンスである。
この作品の楽しむべきは雰囲もしくは作品としての質、やりとりの小気味よさである。
楽しみ方としては「考えるな」秀逸なアングルと背景描写、表情豊かなキャラから感情を読み取り世界観に酔いしれろ。
会話のキレ味に声を出して笑い、よつばの微笑ましい言動に頬を緩め、よつばに自己を投影しセンチメンタルに浸ればよい。
よつばとは子供嫌いだった私が子供を欲するようになるくらい影響を与えた作品である。あずまきよひこさん並びに制作にかかわった方全てに感謝したい。
参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%88%E3%81%A4%E3%81%B0%E3%81%A8!
とつばスタジオ HP 2018年12月6日
よつばと!1巻2003年8月27日
よつばと!2巻2004年4月27日
よつばと!3巻2004年11月27日
よつばと!4巻2005年8月27日
よつばと!5巻2006年4月27日
よつばと!6巻2006年12月27日
よつばと!7巻2007年9月27日
よつばと!8巻2008年8月27日
よつばと!9巻 2009年11月27日
よつばと!10巻2010年11月27日
よつばと!11巻2011年11月26日
よつばと!12巻2013年3月9日
よつばと!13巻2015年11月27日
よつばと!14巻2018年4月28日
電撃コミックス
「描く」マンガ展 名作を生む画技に迫る
著伊藤剛
(京都マンガミュージアム特典)
ひとりぼっちの自転車日本縦断 Part9(Final)【佐多岬~大阪】
前記事
▲本日の旅路
起床。
清々しいほど熟睡し、日の光を浴びたのが7時半。
佐多ホテルキャンプ場はご覧の通り。
テントは頑張って張っても4つ程度が限界だろう。
向こうに見えるのが昨日お世話になったホテル。
1夜を共にしたキャンプ仲間からカットフルーツをいただいた。
こんな優雅な朝食は初めてだ。
さて本日は来た道をとりあえず引き返し、フェリー乗り場まで。
1000円ちょっとの約1時間の航海で薩摩半島の山川へ。
特に書くことも撮った写真もないので割愛。
鹿児島市街は我々本州民の想像を遥かに上回る繁栄具合を見せており、路面電車がレトロと近未来の見事な調和を魅せていた。
街から程ない場所にシンボルのようにそびえる桜島が美しい。
本当にいい土地だ、住める。
温泉につかり、キャンプ地が近くにないので24時間マクドで読書して凌ぐ。
起床(マックで)
今日は佐賀まで。
とはいっても距離的には250km近くあるので端折ります。
初熊本の市街を走りつつ北上、佐賀市西のバルーンフェスタ会場近くまで向かう。
特にどでかい山もなくぼちぼちと距離を詰める。
とは言っても本当に書くこともない。208を北上していく。
佐賀県内に入った時には辺りは暗くなっていた。
カッコイイ橋と日没。
佐賀バルーンフェスタ会場近くの我らのジョイフルに着け一夜を凌ぐ。
2日連続横になれない就寝が続く。が、これも最後だ。
▲本日の旅路
起床(ジョイフルで)
なんと朝5時、肌裂けそうなほど寒いが河川敷に向かう。
早朝にもかかわらず車は駐車街で列をなしており、寒そうに体を抱く子供や、眠そうに目を擦る大人がそろそろと歩みを進めていた。
自転車をその辺に止め、バルーンの撮影に適した位置まで移動。
佐賀バルーンフェスタ
私は2年連続2度目の参加となる
黒い三脚と一眼がカラスのようにズラッと並ぶ早朝の河川敷。
私のように遠方からこのためだけにすっ飛んできたカメ子も多いことだろう。
場所取りをミスり常にススキが写りこむ状態に
白い吐息を吐きながらカメラの設定を弄りバルーンを待つ。
人も多くなり始めた頃合いで元気なアナウンスと共にカラフルなバルーンが白昼の元に。
パシャパシャとシャッターの音が反響する中、私もカメラを構える。
何度見ても生での景観は素晴らしい。
中々多くのバルーを枠内に収めることは難しく、技量が問われる。
規模と人口に反してトイレは少なく、ヤバイと感じたときにはもう手遅れと思った方が良い。
日が照り周りに人が増え活気づくと同時に徐々に気温も温もりを帯びていった。
4時間ほど撮影に興じると、バルーンフェスタ朝の部はひと段落したようでカタストロフィ的空気を醸し出していた。
今年は去年よりも体感時間は早かったななんて思いつつ、河川の側に停めておいた自転車に跨る。
北東方面に走らせ福岡を目指す。
内陸を抉る佐賀→福岡間は山々に阻まれており、恐らくこの旅最後の峠越えである。
これぞ伏兵と言わんばかりか、地味にキツイ坂が続いた。
福岡佐賀県境
中々トレーニングによい263号であった。
そして到着した福岡市で1泊
ここでSBホークスが日本1を決めた。
ショックを引きずり輪行で大阪に帰ったのであった。
これで本当におしまい
かれこれ日本最北端と九州最南端は達成
自転車で日本を縦断できました
▲旅路全貌
距離としては約3500km
かかった期間37日
読んでくださった方(いるのか?)本当にありがとうございました
ひとりぼっちの自転車日本縦断 Part8【志高湖キャンプ場~佐多岬】
※大阪から日本最南端の佐多岬に自転車で赴いた記録です
前記事
▲本日の旅路
起床
朝7時、斜めった坂で寝ていたため体がずり落ちてテントにえぐれた状態で寝ていた。
テントを開けて外へ。
これは壮観だ。ここまでキャンプ場らしいキャンプ場も珍しい、車のCMみたいではないか。
後ろにそびえたつ岳が由布岳であることはこの時まだ知らない。
まあそんな景色も霞むほど早朝の高標高キャンプ地は肌を切り裂くように寒い、蛇口を捻って出る水は頭がおかしくなるくらい冷たい。
そんな零度の世界をもすいーと気持ちよく泳ぐ白鳥の様子を眺めつつ周辺を歩く。
気温に体を慣らしたところで出発。
11号に軌道を戻しまた坂を登る。
えげつないくらい自転車には余裕のない車幅だが景色はかなり良い。秋と書いたような情景に思わず感嘆の声を漏らす。
こちら由布岳、秋のハイキングには良いだろう。
昨晩思っていた以上に上っていたようだ。由布市街が一望できる。
雲が街並みに影を作る様子を見るのは楽しい。
CGのような実写をはた目にスピードを上げ下る。
11号で坂をぶち抜いたのち由布市街へ、風情ある小さな街をあっという間に抜け210へ。
幾何かのアップダウンを経たのち号で40号を使い南下。
ヤマメ料理で腹を満たしつつ九酔渓をグイグイと登っていく。勾配はまあまあありキツい。道中車に乗ったお母様に「がんばれー」と声をかけていただいた。
しんどさとは裏腹に景色は良く暖色系を混ぜ合わせたバレットをも連想させる。
暫く登ると目的の一つであった九重夢大吊橋に到着。
九酔渓で結構高くまで登って来たようだ。
シーズン真っただ中故に客足は好調で橋の上も牛歩状態である。鮮やかな紅葉を貫くようにそびえる3つの滝が強い存在感を我々に魅せてくれる。
だがそんなこともかすれるほど、渓谷の形状のせいか風が吹き曝し体感温度は常軌を逸していた。
観光客の会話も「景色の話」く「寒い」であった。早く退散しようにも牛歩という現状。
気を取り直して再開
ぼちぼち上るとツーリストから莫大な支持を得る「ヤマナミハイウェイ」の案内が。
案内に従っていくとぶっとい道路に合流。
おお・・これは。ポスターに使われてもおかしくないくらいじゃないか。
どこまでも続いていきそうなアスファルトの線が日の丸構図で伸びていた。
平地に見えるが微妙に坂になっておりスピードは出ない。意外だったのが自転車はほぼいなかったことだ。
メディアで取り上げられるヤマナミハイウェイのベーシックな姿は夏仕様だ、しかし今私の目の前に広がる情景が伝える情報は秋である。すなわちこの時期にこの場所に来た者だけがこの真の姿を目にすることが出来るというワケだ。
大地の雄大さに心を奪われつつも登っていく。
ヤマナミハイウェイという名前から激勾配を覚悟していたが、由布岳やつりばし辺りから既にかなり高標高につけていたため、特に急な勾配は存在せず、かといっても楽ではないちょうどよいウェイトをかけながらヒルクライムすることが出来た。
道中工事が、対向車線が渡り終わるまで120秒ほどの足休めを強いられる。
今回は完走目的でもないのでおとなしく従う。
特にぜえぜえ言わすこともなくゴール。
ただこの時点でまあまあな距離を走っているためしんどくは無いと言えばうそになるが。
標高1330m
登った先には車50台ほどの駐車場と、道の駅ならぬ山の駅のような施設が併設されていた。
ソフトクリームをいただく、高標高故に寒い。食べた後少し後悔。
奥には登山者用山岳ルートの入り口が、まだ上るのかよと思ったが登山客はここまでバスで来て頂の美味しい部分をほとんど労せずしていただくのだろう。
少し休憩した後、風を切ってハイウェイを下っていく。
道中ある最も見晴らしの良い場所。
世紀末系のRPGのエリアマップのような情景に思わず声が漏れる。
ちなみにこの場所から見える山頂(1330m)がこちら。
さっきまでこんなところにいたのか俺は。
ペダルを回さずとも回ってくれるリムが心地よく、速度をどんどんと上げていく。
暫くすると平地へ、ただそこまで下った感覚もないのでまだ標高はあるのだろう。
前方には高々と聳え立つ阿蘇山が、アレを超えるのは明日になるだろう。
11から45号に、この45は牧草地帯に囲まれ通称ミルクロードとしてツーリストに親しまれている。
夏真っ盛りだと青々と茂る牧草を両翼に迎えつつ走るのだろうが、やはりこちらも明るい茶色に焦がし私を出迎えてくれた。
登り一辺倒ではないが、大規模アップダウンが続くため安定して走りにくくすぐにばてる。
ミルクロードという可愛らしい名とは裏腹にサイクリストにはなかなか辛辣な道であると言えよう。
阿蘇に立ち寄った際必ず訪れてほしい場がある。それが大観峰である。
ミルクロードに沿っていると道中案内が出る。少し上った先にある景色は、ミルクロードの牧草地帯からさっきまで下ってきたやまなみまや阿蘇市街までをも見渡せる最強の景観となっている。
ここに関しては言葉が出ない。
いつまでもここにいたいとまで思わせる場所であった。
バイカーの聖地ということもあり大量のバイクが、そして意外や若い観光客も多かった。
そんな景色に心奪われ汗冷えが気になりだした時、そういえば宿どうしようという危機感が芽生え始めた。
とりあえずライダーハウスを検索し、阿蘇市街にある阿蘇ライダーハウスへと訪れることにした。
ご覧のあり様だよ。
やはりぶっつけ本番はきつかったか。
しかしこの高地でテントを張る恐ろしさは岩手山で学んでいる。故になんとか壁に囲まれた施設で寝たいところ。
手あたり次第当たること10分、一泊3000円で泊まれる外国人バックパッカー向けの宿泊施設(ゲストハウス)に空きがあり泊まることに。立地は阿蘇駅から徒歩3分という好立地。
温泉はゲストハウスから5分の所にあり、休憩室で日本シリーズを観戦。
幾多の山越えで流石に疲れのようなものも蓄積しつつあるので久々のふかふかベッドで早めの就寝。
▲本日の旅路
起床、現在の立地としては阿蘇山北部にいる。そこから111こと阿蘇パノラマラインで阿蘇をまたぎ南下し、宮崎県に南下する。
寝起き早々だが緩やかに傾斜を登っていく。
ある程度まで登ると右手側に阿蘇市街を望むことが出来る。
左手には阿蘇山と牧草が、早朝にもかかわらず牛さんが活発に動き回っている。
最初は緩やかだったが徐々に勾配を増していく阿蘇パノラマライン。
とはいってもまあ足を着く程でもない。
恐らく最高標高?らしき場所に到着。
濃霧が萬栄していた。
気温は汗冷えも相まってかなり寒い、早めに下ることにする。
下ると草千里ケ浜という場所に降り立つ。ネットの写真はかなり綺麗だったが現実は霧で見えにくかった。
ある程度走ると阿蘇山火口のかなり近くに。
普段はロープウェイでの移動が主だが、熊本地震の影響で現在は運行していないそうだ。
今はバスや車等で阿蘇カルデラの火口付近まで登れるらしい
阿蘇山公園道路を登っていく、明らかに自転車は登れないっぽい道路だったが、料金所のおっさん曰く自転車は無料だそうだ。
ただ、ガスが充満しており鼻孔を突くにおいがする。
そしてこの道路勾配がえげつない。
四国カルストの時の最大勾配をも優に超えてるであろう。体感的には17くらい?そりゃそうだ、本来自転車で登るべきような道ではない。
ぜえぜえ云いながらギリ自転車OKなところまでこぎつけた。
そこからは歩きで阿蘇中岳火口に到達。
私が小学生の時家族旅行で連れられて以来だ。当時は雨も降っていたし記憶も定かではない。が、まさか自転車でこんなところまで来ることになろうとは当初の私に言っても信じないだろう。
火口から溶岩?を覗ける。
ガスの匂いはよりきつく、鼻がずっとムズムズする。
が、景色は最高だ。
特に走ってきた道を見ると「ザ大地」と言わんばかりに焦げ茶色の山々、蛇行して伸びてくるアスファルトがまざまざと視界に写る。
書いている今でももう一回走りたくなる。
熊本地震の爪痕も所々に目につく。
あまり長居すると体に毒らしいので堪能したところで再び111に合流し下る。
さらば阿蘇、本当に最高だったよこの山々は。
自転車でこのボス級を連戦できたことを誇りに思う。
しかしまあこう降りてる景色を見ていても宮崎までにはもう1戦くらいありそうだ。
暫く下ると白川水源で知られる場所へ、さっきほどではないがザ田舎といった感じだ。
宮崎県境の高千穂を目指す。
暫く325の脇道を走っていると高森峠九十九曲がりという場所へ。
普段ならちょうどいいかもしれないが正直連戦に次ぐ連戦でかなりHPを消費している。今回の旅も完全off日は無く、船移動以外はほぼサドルにまたがっている。
325に合流し何回か控えめな坂を超えると高千穂並びに宮崎県へ。
ほぼ魔境である九州内陸部の中ではそれなりに栄えてはおり、そこからさらに下ると観光名所でもある高千穂峡へ。
かなり神秘的な景色ではあるがここ数日絶景に目が肥えたせいかそこまでの感動は無かった。
崖下のカヌーから見た景色は少し見てみたかった気もする。
滝の部分がフューチャーされがちだが、そこから少し歩けばまた違った清涼感のある場所に出る。
でまあここに来るまでに高千穂市街から結構下ったわけで、戻るにはまた登って帰らねばならない。
218号線で海岸側まで40kmほど走る。ほぼ下りか平地だったのが救いか。
海沿いに面した延岡市に到着。
ここからさらに南下すればキャンプ場のある日向市に着くがそんな気力もないのでその辺にあった24時間制カラオケで風呂にも入らず就寝。
10月28日 宮崎県延岡~宮崎県日南市
▲本日の旅路
起床
風呂に入らなかったせいか体もねばねばしており気持ち悪い。
本日は宮崎県日南を目指す。
ルートはいたってシンプルで海岸沿いをまっすぐ南下するのみである。
少し寄り道でイルカ岬へ。
快晴である。
国道10号を天気も良く青く染まった空と海を望みながら走る。
大きなヤマを越えることは無いので楽か?と思っていたがそれは大きな間違いであった。
頻繁なアップダウンとえげつない車の交通量、そして逆風ですっかり疲れてしまった。
地味にこういうのがHPを削り取っていく。
結構南下してようやく宮崎市内へ。
流石に栄えている。
宮崎と言えばチキン南蛮ということで適当に入った店でチキン南蛮をいただく。
宮崎ではソウルフード故にもうチキン南蛮をおしゃれに食べる領域まで来ている。
腹を満たしさらに南下、ここからは220号へ。
日南海岸ロードパークと呼ばれる道を走っていく。
道中サンメッセ日南という場所で本物のモアイを拝むことが出来たらしいがモアイ見るだけでお金かかるらしいのでスルー。
鵜戸神宮はスピリチュアルに疎い私でも知っている場所だったので2kmほど寄り道して寄ることに。
結構疲れていたので階段の上り下りだけで一苦労であった。
しかしまあ海沿いに面した神社というのも珍しく洞窟の中に建造物が侵入している神津も面白い。
休憩もかねた観光し終わったのち再出発。旅も終盤かつ風呂に入らなかったため疲労がやばい。
なんとか日南市街に到着。カープのキャンプ地ということもあり街並みもカープ色に彩られていた。まさにカープファンの第二の聖地と言えよう。
油津駅、ここまでくると凄いな。
線路沿いに北上すると日南で一番近い温泉がある。
2日ぶりの温泉で心身を清め、休憩室で観戦。やはりここの人もカープを応援しているようだ。
試合が終わったのが10時頃(無論敗北)
外に出ると辺りは街灯でかろうじて見えるくらいには暗く、なにより寒い。
寝床も正直決まってはいなかったが、温泉から最も近い民間公園がぼちぼち良さげだったのでテントを張り就寝。
10月28日 宮崎県日南市~鹿児島県佐多岬
起床、今日の目標は南下し、明後日最南端に着く程度に着けておくこと。(大隅半島)
再び220に戻り南下する。
凄くデカい軍艦?のようなもの
今回は少し中をえぐりながら行く。後で思うと海岸線沿いの都井岬に寄っても良かったななんて考えたり。
そんな道を走っているとほどなくして鹿児島県内に
早速野生のブロイラーがお迎えしてくれた。(マジで道路に飛び出してきた)
一旦220で半島の西側まで行き切ってから再南下する。
鹿屋市まで行った後269に乗り換え、この時点でまだ2時半くらい。
これもしかすると今日中に最南端行けるんじゃね?
そう思い少しペースを上げる
海の向こうには向こうの薩摩半島が望める。
途中までは非常に走りやすく、自分の中では30km以上の巡行が出来たと自負している。
しかし残り15km程度になったくらいからか?
国道269が終わり、県道68になったところで佐多岬が牙を剥く。
最南端という秘境地舐めるなよと言わんばかりのえげつないアップダウンヒルを見せ私の脚を削り取ってくる。
566に入り残り8kmとなると更なる追い込みがかかる。後一桁が果てしなく遠い。
暗くなる前に決めたい・・・そう思いながら必死でペダルを回す
そして16時50分
みえた。
最南端の記念碑だ。
大阪から寄り道しまくって7日間
距離は実はわからない。(途中でサイコンを落とした)
多分1000~1200kmくらい。
もう少し行けば展望台が。
ここが自転車で行ける本当のゴールだ。
宗谷とは違い私含めて4人程度しかいなかった。
写真を撮ったりしながら30分程度休憩していたが、はたとここが最南端ではないことにようやく気付く。本当の最南端はここから2km弱歩いた場所にある。
トンネルを抜け明らかに突貫な階段を下ると私が求めていたものはそこにあった。
暗雲を切り裂いた斬撃のような夕焼け。
そうここが正に九州最南端だ。
じわあと胸中に感動が。
足はもうがくがくだ。この1週間で10年分の景色を見た気がする。
暫くその場で座りつくしていたが、悲しいかな現実はやってくる。
寝床問題、あたりはかなり暗くなってきており、街灯もない。
こんな秘境に取り残されてしまったら危ないし怖い。
早歩きで戻る。辺りは私1人しかいない。
行きに通ってきたトンネル。これ怖いなあ。
なんとか展望台まで戻ってきたが・・寝床問題は依然解決していない。
さてどうするか、ここから1番近いホテルまではここから8km。そのすぐ近くにキャンプ場があるらしい。ここまで行くしかない。
既に0近いHPを振り絞りまたアップダウン地獄へ。街灯もない寒い夜道を走る。
命からがら佐多ホテルに到着。
温泉はまさかの私の貸し切り状態。泳いだりもぐったりした。
さて風呂から上がり食堂で日本シリーズ観戦。
さて早々に試合に見切りを付けすぐ横にあるキャンプ場へ。
ただ視界がなさ過ぎてどこがキャンプ場なのか。
と思いながら恐る恐るふらふらしていると
「こんばんわー」
私以外にも人が。
ここに1人は怖かったので本当にありがたい。千葉からバイクで日本を旅しているそうで。星空を眺めながら話に花を咲かせた。
↑こんな感じ。向こうに見えるのがホテル(翌朝の写真
一応最南端は達成したが、次回はここから福岡までの記録です。
ひとりぼっちの自転車日本縦断 Part7【香川県橘ノ丘総合運動キャンプ地~大分県志高湖キャンプ場】
当記事は主が大阪からのんびり自転車で鹿児島最南端佐多岬に行った紀行記です。
前記事
▲本日の旅路
起床
民間公園であることと、予定を考慮しかなり浅めの時間で起床。
民間公園でのテント拍のリスクは前にも述べさせて頂いたが、当沖田公園は国道に近くそれなりにでかめの公園である。そして住宅地も近い。
故に人のアクセスが激しい公園である。念のため公園の端の端にテントを張ったが、まあ何人かにはその存在は気づかれていただろう。通報されず朝を迎えられたことをまず喜ぼう。テントを畳んでいると
「国道近くであんまり眠れんかっただろ?」
とウォーキング爺に諭された。
支度をし33号に合流し北西方面に進めていく。
高知市内ということもありしばらくは比較的栄えており、道幅の広い道を行く。
すると仁淀川という高知の南から伸びた広大な河川と合流する
仁淀川沿いの194に合流し快調に飛ばす。
さて、高知×河川で連想されるワードと言えば沈下橋である。
我々からしてみればノスタルジーを感じることのできる貴重な観光地だが、現地民からすれば生活用路である。水面が上がった場合沈むという特性からこの名称となった。
今回のルートではその沈下橋を3つ通りながら楽しく四国カルストを目指そうという算段である。
まず初めにお目にかかれたのは名越屋沈下橋である。
沈下橋にもいろいろ種類があるが当名越屋沈下橋はその中でも大きめのものに分類される。最も有名なのが四万十沈下橋だろう(今回は通らない)
沈下橋は下にも降りることが出来き俯瞰からのショットも可能。
しばしば車が来ることもあったが、人が避難できるスペースも設けられており側面には苔がこべりついていた。
さてある程度写真も撮れたので再び西淀川沿いに走っていると、18号線の案内が出るので合流、ずいぶんと小ぶりになった川沿いを走る。
素晴らしく車も人もいない道が続く。
案内を見落とせばそのまま通り過ぎてしまいそうなほど存在を潜めている当所だが、これぞ沈下橋といった我々の求めている景色がそこに広がっていた。
ひっそりとした集落とさんどうをつなぐ生活用路として耐え凌がれた石畳は涼しささえも演出していた。
山岳に囲まれているための無風により水面が揺れない。
故にこんな鏡面もいただくことが出来る。
暫く休憩し再出発。
最後の沈下橋は浅尾沈下橋。1kmほど寄り道し視察したがそこまでだったので写真は割愛。
さてそこそこのアップダウンを経て再び33号に舞い戻ってきた私だが、この33沿いにひとまず四国カルスト付近まで目指す。
栄える雰囲気も一切臭わない道を進む、道中野良ローディを2、3人抜かしつつ走りやすい33号を進む。
まさかの工事中により若干の遠回りを強いられる。
※何かの工事中だったのか?取り壊し中だったのか?それとも何かオブジェのようなものなのか、わからないがとにかく幻想的な建造物であると感じたため撮影。
コンビニの検索結果がコレであるこの絶望感は推し量れるものではない。
なんの前準備もなく標高1500m近くの天狗高原すなわち四国カルストに臨む恐ろしさは考えるだけで脂汗が出てくる。
33から439号への乗り換え。その際たまたま家族経営形式の地図にも載っていないコンビニがあったため、補給職の購入と空腹を満たすことに成功。
再出発と同時に坂が襲う、もしかしてもう四国カルストの職種に絡み取られつつあるのか?とも考えたがどうやら違うようだ。
ほどほどに足をいじめて峠は去っていった。
標高でいうと恐らく300~350程度だろうか。そこからは下りが続く。
一定の下りを終えて
さあ来た。
久しぶりの標高1000m越えヒルクライムの始まりだ。
ここが入り口だ、盛大に開けているわけではないが、そのひっそりとした裏に抜けるような雰囲気がまるで我々のちっぽけな存在をも飲み込んでいくような不気味さを醸し出している。
実はこの時点で割と疲れている。
雲行きが怪しい。
今降られると流石に困る。
登り始めるとご覧の景色、夏の終わりから秋にかけての植物の表情の変化が楽しめる。
坂の最初は勾配6~8%をちらほら。敵ではないなと割り切りアウターのままぐんぐん上る。
道はご覧の通り、まあ悪くはない。
がたつきも少なく景色も最初は両翼を林に覆われ視界的には良好とはいいがたい。
だか高度を増すにつれ違和感に気付く。
無意識の内にギアをインに落とし歯を食いしばりペダルを踏んでいく。
勾配が確実に上がっている、これは10%も越えているのは明白であろう。
キツイが人間の恐ろしいところキツサにも慣れが生じる。
ポイントポイントの急勾配をやり過ごしながら8%前後で足を休めつつ登っていく。
そしてぱっと景色が広がった。
右手には緑と茶が入り混じった鮮やかな山々が連なり、その情景を上から見下ろすことが出来た。
視界が少し薄くなっているのがわかる霧か雲か。
そして気温もガッツリと下がった。
ヒルクライム中はヒートテックを腕まくりした状態で臨んでいたが、流石に寒い。
ゴールっぽいのが見えた。
どっちに行くべきか迷ったが左を選択。
どうやら当たりだったようだ。
天狗高原看板、この時点で足はついていない。
まあここがゴールだったらしいが。
さあそしていよいよ四国カルストだ。
いやあ、googleで見ていたのとはずいぶん異なるねえ。
当所は愕然としたが一蹴回って良く思えてきた。
先50mがほとんど見えない霧に覆われ人も自分しかいない。
こんな空間にいられる経験なんて生きてるうちにもほぼ無いだろう。
左には寒そうな牛さんがお出迎え。
とりあえず降りるタイミングを失ったのでここをゴールとしておく。
愛媛高知県境。
寒いので防寒ジャージとネックウオーマーを羽織る。
先も見果たせない、絶景でないようで絶景だ。
ひとしきりレフで遊んだ後、少し進むと姫鶴平へ、四国カルスト来訪の証明となる景色だ。
さて、本日の目的はおおむね達成したが、ここからは急務である。
この辺一帯にキャンプ地らしきものは無く(カルスト内にもあるが、この標高での夜は絶対零度となることが容易に想像できる)晩は雨予報である。
何とか屋根のある場所で睡眠をとりたいところだが。
検索すると2~30km離れたところにライダーハウスがあるようで、四国カルストを一気に下る。次は晴れたときに来たいものだ。
道中雨に降られ結構濡れたが、ライダーズイン雲の家に到着。(写真は翌朝の
温泉付きで1泊3000円と考えればぼちぼちのコスパか、せめて暖房が欲しかった。
▲本日の旅路
起床、あんま眠れなかった。
一回も洗濯せず汗を吸収し続けたサイクルジャージは浮浪者のようなにおいを漂わせていた。
幸いなことに雨は上がり、路面状態もそこまで悪くはない。本日は愛媛の八幡兵のフェリー経由で大分の別府まで。
197号を利用して大洲市まで。
まあしかし走っていると栄えているのは松山市のみなんだなと気づかされる。
60km程度走ると大洲市へ、そこで197へと乗ると楽に八幡兵へとたどり着ける・・わけではない。
まず峠、と言ってもカルスト登った私にはへのような坂であったが、その頂に君臨するトンネルが鬼門であった。
歩道は無く(探せばあったか)車幅もギリギリ、交通量は多く、トンネルは長い、考えうる限り最悪なトンネルを爆速で駆け抜ける。
その後もなんやかんやあって八幡兵に到着。
だが別府行のフェリーの時間ギリギリ(5分前とかについた)だったため乗船手続きをすぐに済ませせっせと乗り込んだ。値段はチャリ込みで3000円行かないくらい
村上海賊の娘を読了できるくらいには時間にゆとりのあった航海を経て別府上陸。
初大分である。
時刻は夕方くらい
唐揚げ弁当を食し、コインランドリーへ、汚物のような異臭を醸し出す布切れをぶち込みコインを入れまわす。
やや時間はかかったが、匂いはずいぶん軽減され返ってきた。洗濯が終わるころには5時、日は暮れつつあった。
まずい。日本シリーズカープvsSBが始まるまでにどこかしらの温泉に行かねば。
結局1時間ほどかけてかなり内陸部にある堀田温泉にたどり着いた。結構上った。
大分の内陸部はどうやら魔境らしい。
何はともあれ日シリには間に合い結局最後まで見てしまった。
ご存知の方も多いかもしれないがこの試合は延長に延長ともつれ込み終わるころには夜11時を回っていた
試合観戦を終え外へ。すっかり湯冷めした体は寒く、木枯らしと共にやる気を著しく削ぐ。
さて本日の寝床だが、ここから11kmさらに内陸部に進行することでキャンプ場がある。明日のスケジュールを考えると少しでも距離を詰めておきたいところ
志高湖キャンプ場に向けて暗闇の中漕ぎ始める。
11kmずっとのぼりであった。辺りも視界はライトのみでお化けは信じないが単純に怖い。
なんとか志高湖キャンプ場には着いたが暗くその全容は分からずじまいであった。
ただ大勢のキャンプ者でにぎわっていた。恐らくこの度では最も大きなキャンプ場だろう。
ひっそりと湖の近くにテントを設営して就寝。
※こんな感じ
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