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大阪から関東に左遷されたあほんだらの自転車旅行記

美しい台湾(環島)一周サイクリング 11日目 花蓮~宣蘭

文明が発達し、地図でさえ電子化される時代へと移り変わった。最たる例がGooglemapである 。
しかしそんな利便性に長けた時代でも実際に赴かなければ予想し得ない事態もある。
 
 
3/11  花連
 
天気はにわか雨と表示されていた。
どう捉えれば良いのだろうか。
ドミトリーの重い扉を開けると上空には曇天、手のひらには冷たい雨粒がパラパラと滴り落ちていた。
 

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本日は台湾でも比較的大きな街、宣蘭まで。
最短で行けば100kmちょいであるが、本日は少しばかりの寄り道をしたいと思っている所存だ。
雨といっても走れないほどでは無いので、濡れることは割り切りつつ9号国道沿いに歩みを進める。
 

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太魯閣公園への導が出たのでこれに従う。
そう、今回の目玉となるのがこの公園である。
実は世界的なクライミングレースでもこちらの地形がステージとなっている。なぜなら山頂付近でも氷河がないためである。なので3000〜4000m近くまで平気で自転車で登ってしまうだとか。
無論今日そこまで行くつもりはないが2〜30km進んだところまでは行こうかと考えている。
 

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入口の記念碑、観光客が押し寄せATフィールドを張っていたがなんとか隙をついてパシャることができた。
 

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さて、登るぜ、1日丸休んで回復しきった筋肉がバクンと増幅し、タイヤが土砂を巻き上げ唸りを上げる。
 

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徒歩禁止の標識がある場所に自転車で登って良いのだろうか、まぁヤバそうなら帰ろうか。
現に徒歩もチラホラと見かける。
 

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トンネルを抜けるとそこは自然が作り出した灰の岩国であった。
壮大という言葉でさえ陳腐に感じる自然芸術は言葉を失わせた。
今日に限って言えば雨が降っていることはバルコニーの雰囲気を醸し出す付加価値として充分な仕事をしていると言える。
しかし、落石も多いためほどほどにはしてほしい。
現に日本人が一人落石で死んでいる地帯でもあるのだ。
死に対する抵抗は無かったが少しビビってしまった。やはり私は生に対する執着を捨てきれずにいるのだろう。
 
 

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序盤こそ緩やかな傾斜であったが中盤からは本領を発揮してきた。勾配10パーセントを超える坂が続き、たまらずインナーに落とす。
景観はずっと力強く、これを見ずに台北でタピオカだけすすって帰るのは非常にもったいないと個人的には思う。
 

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霧越しに見える吊り橋や、渓流に溶け込む寺院など、RPGで見るような風景にこころ奪われながらもさらなる標高を目指す。
自然により圧迫された道幅により時折ボトルネックのように1車線になり、その度に観光バスやタクシーが渋滞を起こしていた。
観光バスに詰め込まれている者はヨーロッパ系や欧米系が多く、やはりこの辺りの人間は自然や歴史的建造物目的に来るんだなと一つの発見があった。
 

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公園入り口から20kmほど登った先、標高500mほどの場所にGooglemapの公園はピンを指していた。
景観も岩崖を見上げることから見下ろす方に変わってきたあたりだ。
宣蘭まで行くことも見据えてこの辺りが良い塩梅と判断、舗装された道を駆け下りる。
 
この道を自転車で走れたことを私は一生忘れないだろう。
 

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黒いシューズと鋼色のフレームを灰の土砂で汚し降り切ったのは12時であった。
 
宣蘭までは90kmと出ていた。 
明らかに余力と見合わない距離に思わず二度見した。
 

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左手には雄大な山岳、右手には落ち着いた海を構えて9号線で弱風を切る。
雨が止み風が弱いだけでも恵まれた天気と定義できる。
 

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環島一周でも公式コースとされている当道路だが明らかに自転車禁止を意味する看板が行く手を阻んだ、2kmほどバックし検問業務に精を出していたポリにこの画像を印籠の如く差し出した。
そこで得た情報によると「上の段を自転車で走るの禁止」の意味だそうだ。
つまり車にまみれ道路を走る分には構わないということだ。わざわざこんなわかりづらい看板立てるなよと毒づきながらも距離を詰めていく。
 

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海面を凝視すると、空色とネイビーな色ではっきりと別れていることに気づく。海底ベルトというやつだろうか。
 

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断崖に無理やり道路を取ってつけたような当9号がどんな道であるかは想像に難くなかった、10〜30分かけて登っては5分で駆け下りるを繰り返す。
ルブは落ち切り、カピカピのヘドロを纏ったチェーンが、水分を失い憔悴しきった生物のようにカラカラカラと音を立てて歪んでいた。
 

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上画像を見ていただければ道の熾烈さがお分かりになるだろう。
相当な高度から撮っている
かくいう私も脚筋、呼吸器共に疲労は深く、魂だけで持っているような者であった。
コンビニや商店の無い地帯が続き、空腹が私の脳を支配した。
ハンガーノックは感覚が空腹を覚えた時には既に手遅れである。
 

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もうダメかもしれない、その矢先に高標高から見晴らしたのはベネツィアをも彷彿とされるような水の都であった。
無論宣蘭ではなくまだ30km程度あるのだが、ようやく食にありつけるという安心感は私のスピリッツをつなぎとめた。
 

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乾麺でエネルギー補給。味は熱すぎてよくわからなかったが、とにかく啜った。
 

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辺りはすっかりと暗くなり、今回ライトをつけ忘れてきてしまったためそこは悩みの種であった。しかし、かろうじて市街地に入っていたため、街灯に照らさらた路面はありありと宣蘭までの道しるべとなり、私を導いてくれた。
そういえば暗くなっても走るという経験はこの旅では初めてな気がする。
日本縦断の際は度々そんなこともしていたが。
 

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8時前に到着
距離は150km程度だが、獲得標高はいかついことになっているであろう。
 
ホテルに荷物を置き熱いシャワーを浴びた。洗濯機にウェアをぶち込んで夜の宣蘭へと出る。
 

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大きな夜市があったのでタピオカ片手に舌鼓を打った。
 
全力で漕ぎ全力で食べ全力で寝て全力で楽しむ。そして全力で汚れる。
 
旅の醍醐味を象徴したような1日であった。
 
本日はこれでおしまい。
 

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