ひとりぼっちの自転車日本縦断 Part3【東京都千代田区~宮城県仙台市】
大阪から北海道の宗谷岬に行った記録を綴っています。
これから挑戦するぞという方の肥やしになれば幸いです。
質問に関してはコメントしていただければ返します。
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▲本日の旅路
ネカフェのドアをくぐり、伸びをしながらシャバの空気を吸う。
今日は脚休め日。実際相当疲労も溜まっている。
しかし、その時感じた微かな違和感がそれをも打ち消した。
まずい。
どんよりとした湿気。そのくせ高い気温。
天気アプリを確認し天を仰いだ。ついにきたか。
明日辺りから全国的に天気が怪しい。
当初は脚休めに1日東京でのんびりの予定だったが休日返上である。
晴れた日に走り雨の日に休めることにする。
予定を前倒しし、自転車日和の本日は茨城県の大洗へGoだ。
5連単だがコンディションは別段悪くはない。
6号線沿いで北東に向かう。今日も暑い。
でっかい橋を渡ると千葉県の松戸市へ。
利根川サイクリングロード沿も考えたが、今回は内陸を通って行く。
千葉を斜めにかすめるように走ったため、あっという間に茨城内へ
なんと福島を丸々すっ飛ばして仙台への案内が早くも登場。
しばらく雨が続く中私が仙台の地を踏むのはいつになるのだろうか。
十浦に来た所でひとつ戦況を動かしてみる。少し道を逸れ霞ヶ浦湖へ。茨城県直々に推している霞ヶ浦湖サイクリングロードをたのしみつつ真ん中の橋を渡って大洗へという算段だ。
私はここでとんでもない計算違いを犯してしまう。
この時間帯、季節での霞ヶ浦湖サイクリングロードはこの世の生きとし生けるサイクリストの全てを灼熱地獄に突き落とすコースであった。まず日陰もなく、自販機もなく、コンビニもない。
旅路で1番死ぬんじゃねえか俺・・と思った。
なんて言っているとケニア人にジュースをご馳走になった。
英語での円滑なコミュニケーションが取れたのは大卒で良かったと思える材料である。
ただ、悪いところだけではなくもちろん季節によってははしりやすく、こういったノスタルジックな自転車インスタ映えスポットもあるにはある。
秋くらいに走りたい。
サイクリングロードを抜けた後は2と51を駆使して大洗まで行くだけだ。
最後、2で市街地に抜けると徐々にガルパン色が。
無事到着
120kmくらい。
少しだけ聖地巡礼をする。
街中はまさに一色であった。
聖地巡礼者もちらほらと。
ここではじめて洗濯。
この旅では基本的にランドリーを使い、服を洗う。
明日こそ一日自分の体に休みを与えたいがはたして….
海岸沖の公園にテントを張って睡眠
▲本日の旅路
地震を連想させかのようなテントの振動でパニックになり叩き起こされる。強風が吹き荒れ少し雨も降っている。
急いでテントを畳み時間を見ると6時半。
おいおい早過ぎるだろと思いつつファミのイートインへ。9時まで時間を潰す。
「おいおいそんなにノンビリしていて大丈夫か?」という声も聞こえて来そうだが問題はない。
今日は聖地をちゃちゃっと回った後に40kmほど走り日立まで行くという完璧な算段が立っている。天気を見ると3日ほど雨が続くためそこを休憩に充てる。
雨の中テントを敷くのはもう勘弁なので、遅くまで開いているカラオケを探すと日立市にまねきねこを、発見した。
なので日立のまねきねこを目標に進む。
まずは昨日閉まっていた総菜屋のカワマタへ。
ガールズアンドパンツァーにおける私の推しが武部沙織だったのでここははずせなかった。
親切なおばちゃんが対応してくれ、自転車で大阪から来た節を伝えると目を丸くし、コーヒーパン等をタダで食べさせてくれた。
できれば餃子と肉じゃがを食したかったが、開店早々私が押しかけた故に下ごしらえができていなかったようだ。
さて、雨の降らぬうちに日立まで行っておくか。
大洗にさらばして6号線を北上して行く。
最初は基本的には海沿いを走ることになる。
後に側路などを走りつつ、256へ合流。
この辺りは右にはHITACHI左にはKOMATSUの工場があるなど有数の工業地帯となっている。
当然、それに比例し物資運搬の中型車も多いため注意。
海岸沿いに原子炉が見え始めた頃、いわきへの案内が出る。
この辺りは本当に原発が多く、原発反対のポスターもちらほらと見かける。
確かにいつ爆発するかわからない兵器がこの近さにあれば怖いというのも納得できる。
日立駅に到着。大体50km程度、見た所そこそこ栄えてはいるが…と言った所。
非常にもったいなかったのがこの日立駅、内部が滅茶苦茶洗練されたデザインで数々の絶景雑誌に載っているそうだ。
私はそれを知らずスルーしてしまった。
今日は降水確率が50%ということで、いつザザ降りになってもおかしくはないという状況だが、現時点では一滴も雨粒を感じることはなかった。
そして気温が21度と非常に涼しい環境にある。
ここで天気アプリを確認すると台風が茨城を直撃するとのことだった。どうしようか、正直日立で3日過ごすのは辛いものがありあと50km走っていわきまで行くとそこそこ栄えているはずだ。それに台風が過ぎ去った後だと道が荒れている可能性もある。
迷った末、日立からいわきまで行くことに。
雲はどんよりしており直ぐにでも降って来そうな雰囲気だ。
内陸の6号線を北上して行く。
いわきまでは60km弱。
ちなみに海沿いの6号線は車のみなので注意。(上画像)
6号線は途中からバイパスになるため、20号線に乗り換えて進むと県境に到着。
申し訳ないがこの辺りから携帯や精密機械をビニール袋で縛りカバンに放り込んだため写真がない。
そして記念すべきこの旅1回目の落車。視界がぐるんっと回転し気がつけば地面に叩きつけられていた。後頭部にガツっと衝撃があったのでノーヘルだと流血もしくは即死だったかもしれない。
さらに左腕、左薬指、右肩に衝撃がありジンジンと痛むがこの程度でやめるわけにはいかない。そしてなぜ落車したかなのだが現場を検証しても全くわからない。おそらく段差でスリップした様なこけ方だったが目立った段差もないので気味が悪い。自転車の方はチェーンが外れた程度で済んだのが不幸中の幸いだろうか。
それを除けば順調に進んでいた。
ただ、残り10km付近でバケツをひっくり返したような雨が降り始める。
少し濡れたらもう後は一緒派の私はずぶ濡れになりながらいわき駅に到着。
結局150km近く走ってしまった。
案の定栄えており、運の良いことにちょっとした催しも行われていた。
3日過ごすにはいい場所かもしれない。駅前に屋根付きの駐輪場があった為、一旦そこに自転車はおかせてもらう。
銭湯も近くには無い様なので、今日くらいはビジネスホテルにとませてもらおう。
5000円払い、熱いシャワーを浴びた後ベットに倒れ込んだ。
▲脚休めも兼ねて、いわき市で台風をやり過ごすことに。
起床すると身体の至る所が痛い。7時半に目が覚めたが2時間くらいベッドの上で携帯をみることしかできなかった。
とりあえずチェックアウトを済ませ自転車の様子を見に行く。
かなり汚れているかつ、チェーンが錆びているのでスポーツサイクルショップに持って行く。メンテナンスかつ、3日預かってくれるとのこと。これは有難い。
駅前の駐輪場は盗難の可能性もゼロではないので保管+修理として預けておくことに。大阪から来たと伝えると激励を受け、
仙台へ行くなら道中原発で二輪が通れない道があるという情報提供も受けた。
現在いわきでは祭りが開催されており、それをぶっ潰すためにピンポイントで台風が接近している状況である。とりあえず今日はカラオケ内で睡眠を取る事にする。明日以降はタダで雨をしのぎ横になれる場所を見つける必要がある。
▲脚休めも兼ねて、いわき市で台風をやり過ごすことに。
本日もいわきで何の生産性も無い日を送る。1kmも距離を進められないことに苛立ちが募る。
明日の午後からは晴れるようで、ようやく復帰の兆しが見えて来たといったところだろうか。
ドトールでWi-Fiに寄生し、ニコニコ動画やYouTube、DAZN等でひとしきり楽しむと、本日は24時間ファミレスの決定版とも言えるジョイフルで仮眠を取らせていただいた。店員が非常に優しい方で爆睡していた私に対して「あちらの席のほうが寝やすいですよ」と席を移動してくれた。
▲本日の旅路
結局この日の11時まではファミレスにお世話になり、外の雨も傘無しで歩けるレベルになっていたのでサイクルショップに相棒を迎えに行く。
2日休むと体がうずうずして走りたい欲を抑えられなくなっていた。
今回の目標は福島県富岡駅まで。
理由は後程説明
引き取った自転車を走らせる。
流石プロのメンテナンスだ。素晴らしい、快適すぎる。漕いでいて振動が60%くらい軽減されているのを実感できる。
主にチェーンの交換やステム周りの調整等。
ただ、天候は悪化の一途を辿る。6号線で北上していけば迷うことはないが、雨が霧状となり横薙ぎに私へと打ち付けられる。
メンテナンスしてもらった直後にまた雨風に自転車を晒してしまったことに強い憤りを覚えつつもじわじわと距離を詰めて行く。
到着した夕方には雨は止んでおり、40kmほどのライドだったが距離以上に徒労感があった。
さて、私が何故富岡駅を目的にしたか。そこにはやむを得ない理由があった。
地図を見てほしい。福島第1原発が近くにあるのがお分かりいただけるだろうか?メルトダウンして放射線を垂れ流した元凶である。
7年経った尚、この付近には人が住めないほどのマイクロシーベルトが計測されており、帰還不可能区域としてゴーストタウン化している。6号線でそのギリギリが富岡駅なのだ。その先は自動車は窓を閉めてなら、自転車やバイク歩行者は立ち入ることを禁じられている。
ちなみにここがそのギリギリである。
マスクを纏った警備員が4人ほどで取り締まっており、私のような者が来るたびに事情を説明しているのだろう。
辺りの店はバリケードで封鎖されており、そこには帰還困難区域と生々しく注意書がされている。
路線図を見ると、富岡駅でバッサリと切れている。
この図が示す通り実質この駅が現時点では終点になりつつあり、北に行くことはできない。ではこの先どうやって北に行くのか?
富岡駅発で北の浪江駅まで直通で送ってくれるバスが1日に何本か通る。
私は輪行で乗せてもらい帰還困難区域をパスしようという算段だ。実質これしか方法はない。明日の朝1の便に乗ろうと決め、比較的綺麗な富岡駅前にテントを張って眠りについた。
ちなみに富岡警察署前のマイクロシーベルト。参考までに大阪の一番高いところで0.080である。
心なしか夕暮れが終末感を帯びていた。
本日はここまで。
▲本日の旅路
いよいよ1つの区切りとなる東北随一の繁栄街、宮城県仙台市へ。
いわきで油を売っていれば気がつけば10日目である。
空は昨日に打って変わって快晴だが、私の心は曇天であった。
あいぽんに通信制限がきてしまったのだ。この度中に来ることは覚悟していた。しかし、早すぎる。やむなくSoftBankに課金して本来のネットワーク環境を取り戻す。
そんなことをしているうちにバスが。あらかじめ輪行しておいた自転車をちらつかせると。「あーね」と言わんばかりに載せるのを手伝ってくれた。
運転手、添乗員共に気さくな方で、「この前は三重の高校生の子が来たよー」等で盛り上がった。乗客は私を含め3人。まぁ6時55分発ならこんなものだろう。
バスが走り出し、私が通行できなかった6号線を走って行く。その景観といえばまさしくウォーキングデッド、ハイスクールオブザデッド、がっこうぐらしそのもので。
手入れされず生い茂った草。何より生身の歩行車はマスクをつけた作業員しかおらず、そこは異常な空間であった。
こうして写真を撮ると怒られないかなと危惧していたが、むしろ「あれ、第一原発よ、みえないけどね」と添乗員さんが教えてくれるなど、モラルさえ守れば寛容なようだ。パッと電光掲示板が見えた。
「限地点2.160μSv」
言葉が出なかった。「これでもマシになったんよ。ちょっと前までは7とかだったから」目を見開いた私に添乗員さんが優しく教えてくれた。
バスに乗っていたのは30分程度だったが私にとってはあっという間で見るもの全てが異質で新鮮だった。不謹慎かもしれないがもう一度バスに乗ってこの景観を見たいとまで思った。
「それじゃ頑張って!北海道まで!」若ければ確実に美人だったであろう添乗員さんのエールを受け浪江駅から再び自転車を走らせる。
ここから仙台までは大体100km。基本的には解放された6号線を北上して行くことになる。ただ、まだゴーストタウン化は所々に感じる。
道中相馬市。お分かりいただけるだろうか、黒い袋。
ニュースでよく言われているやり場に困った汚染物質である。
道の駅そうまに立ち寄る。
震災伝承コーナーがあるので通りかかる際は寄って行くことをお勧めする。
のりコロッケは揚げたてサクサクホクホクうまうまなので補給に是非。とにかく今日は天候も気温も良く。道も走りやすい。この旅で一番サクサクと進められている気がする。
宮城に到着、程なくすると岩沼という郊外に入る。
この辺りで6号線から4号線への変更を強いられるので従うこと。
ここでサイクルコンピュータを見ると1000km手前に。3桁でカンストするとどうなるのか動画を撮って見ると、999.99kmの後は0に戻りカウントし直すようだ。あと電池を変えねば…
なんて言ってる間にコボスタ宮城に到着。
本日は可哀想なことに西武と対戦。タイムリーなことにこの前日にアマダーがドーピングで謹慎になった。
仙台駅到着。
カンストplus11kmなので大阪→仙台は1011kmということになる。
寄り道なしならもっと短縮できたはず。ただ、仙台に入ってから天気が不安定で雨が降ったり止んだりを繰り返している。
こっちのが馴染み深い。
仙台観光も考えたが、休憩はいわきでとったので明日はいきなり100kmほど岩手を北上する。
さぁ地獄の東北縦断へと参ろうか。
独りで焼き肉を食うことに何の抵抗も抱かない。
関節すり減らした後の牛タンはうまい。
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